土方歳三資料館 生家跡「日野」に 刀あり! 

誰もがご存知の土方歳三は武家の出身ではなく、多摩で「お大尽」といわれた豪農の10人兄弟の末っ子として1835年5月5日の生を受けて世に羽ばたいた歴史的人物である。徳川家茂(14代将軍)を警護する目的で浪士組に応募したことから、後の近藤勇と組んで新選組副長という立場で活躍したことはよく知られています。副長とは名のみで実質的には近藤勇と対等な関係で二人三脚して活躍する。土方歳三は刀においてもブランドに振り回されることなく、自分がこれと気に入った刀(和泉守兼定)を愛用していたことは有名である。とにかく、土方という人物は信念の人で何事にも厳格であってといわれていr。

新選組を形成して以来、新撰組の規律に対する遵守はこれとないほど厳しく、規律を破ったものは組織的上下関係とは無関係で幹部に対しても切腹を命じ隊士から恐れられたようである。恐怖のあまり脱走者も出てきたが、脱走者に切腹を命じて見せしめにした話がある。

1867年6月に幕臣に取り立てられるも、1868年1月3日に鳥羽・伏見の戦いを契機に戊辰戦争が勃発。新政府軍の戦い方を見極めて分析したところ、もはや、刀では太刀打ち不可能と悟り水面下で洋式スタイルの軍備を準備していたといわれている。新政府軍の勢いに押されて江戸城に戻るも包囲された後に、共に戦ってきた近藤勇は板橋刑場において斬首される。その後、土方は江戸城を抜け出して宇都宮を経由して会津に向かうも戦況の悪化に伴い太江丸に乗船して蝦夷地(函館)に向かう。

新政府軍が1869年4月に蝦夷地に上陸して二股口の戦いに挑み徹底的に防戦するも、新政府軍が鈴の音戦術によって包囲をしたと思わせるために展開され土方軍は動揺するも、土方は決して迷わされることなく部下を落ち着かせてという話はあまりにも有名である。それほど、土方歳三という人物は沈着冷静な人物といえる。土方歳三は「本当に包囲をするのであれば、音を出さずにやるはずだ」とそう思ったに違いない。

しかしながら、1869年5月11日に始まった箱館総攻撃の前に新政府軍の銃弾に倒れて命を落としたといわれている。土方は35歳、偶然にも共に戦ってきた近藤勇と同じ享年でった。ただ、土方の遺体は戦死して友と一緒に五稜郭に葬られたという話、あるいは別の場所に移されたという話もあって、結局は不明である。

土方の慰霊碑または墓所は東京都日野市、北区、荒川区、北海道函館市、福島県会津若松市等がありますが、箱館戦争後にはロシアに渡ったという説もあります。土方歳三の生家跡は「土方歳三資料館」となっていて、入場料は大人500円、小中学生300円、営業日は第1日曜日及び第3日曜日が基本となっています。

【所在地】東京都日野市石田2-1-3

【電話番号】042-581-1493

【開館日】原則として月2回

2019年1月
2019年2月
2019年3月
2019年4月
2019年5月
2019年6月

2019年7月以降はhttp://www.hijikata-toshizo.jp/accessを参考して下さい。

地図を以下の通りです。

【最寄駅】多摩モノレール万願寺駅から徒歩約3分、高幡不動駅から徒歩約13分

【主要交通路】

【羽田空港・成田空港】